No.6|ぶどう農家の継承ストーリー|「ありがとう」を原動力に、ぶどうづくりに励む日々。

2022.08.31

語り手:星野和志

 私たちのぶどう農園「ギアファーム」がある雲南市加茂町は、初夏には蛍も出る空気が澄んで水が綺麗なところです。その加茂町の中でも出雲神話・古事記にも登場する斐伊川近くの山あい三代(みじろ)地区では、昔からぶどう栽培が盛んな地域でした。1960年代に祖父母が築き上げたぶどう園を孫の私が受け継ぎ、たくさんの方々に支えられながら、今年で6年目になりました。祖母と2人3脚で、皆様に安心して喜んでいただけるぶどう作りを目指して日々、大切に育てています。

 農園を受け継いだ頃は、昔から選び続けてくださるお客様のために、祖父母が大切に育ててきたぶどうを絶やさないためには、どうやって守り続けていくかを考えながら日々を過ごし、農業=作物を作って売ることだと思っていました。毎日ぶどうと向き合いながら、他界した祖父が目指した「品質のよいぶどう」について、作り方はもちろん、喜びや苦労したこと、農家の心も含め、祖母から教えてもらいました。

 ぶどう農園を引き継ぐ前に従事していた農業法人での経験も含めて、段々と私の農業に対する考え方は変化していきます。農業とは、人同士をつなぎ、地域や環境を守る役割をも担っていると思います。 生まれ育った地域を絶やすことなく、先人が築き上げた資源を後世に残していきたい。そんな思いを嶺に、これからもぶどう作りを通じて三代地区を守っていきたいです。

 品質の良いぶどうを作り続けるための一番の原動力は、お客様から「美味しい」と言ってもらえることです。星のぶどうを選んでくださるお客様に喜んでいただくために、真夏の一番忙しい収穫時期や、冬の寒い時期も、頑張ることができます。 実際にぶどうを召し上がったお客様から、「知人から贈られたぶどうがすごく美味しかった」、「到着後、箱を開けた瞬間、ぶどうの立派な姿に家族で歓声をあげた」、「贈り物として渡したら、相手の方からとても喜んでもらえた」など、農園に訪れたお客様や、メール、SNSでも励みになる言葉をかけていただきます。それが、美味しいぶどう作りへの活力になっています。

 ぶどうの美味しさの定義には、甘さを感じる糖度だけではありません。酸味、瑞々しさを感じる水分量、香り、皮の厚さ、もちろん鮮度まで、全て整っていないと美味しいぶどうとは言えないと思っています。私が理想とする品質のよいぶどうを作るには、土作りや日々行う枝の剪定、作業のタイミングの見極めなど、1年通した管理と長年の蓄積が大切で、普段からぶどうの樹をしっかり観察してぶどうの声を聞く努力をしています。

 お客様からの嬉しいお言葉を励みに、毎日変化するぶどうの樹の管理をする中で、1番ワクワクする瞬間は、3月、芽吹きはじめた頃です。ぶどうは、枝の剪定など今年施した管理は翌年に結果が表れる少し難しい作物です。次の年の収穫をイメージしながら管理をし、翌年春、芽の出方や花のつき方が、イメージ通りの結果になった時、それは本当に嬉しく、農業の面白さを改めて感じます。1年通した管理で、なかなか休むことができませんが、これもまた楽しい瞬間で、頑張れる理由の1つです。

 生育具合は、毎年天候に左右されますが、その都度、ぶどう農家の師匠、周りの方々にお知恵を借りながら、祖父母が目指した品質のよいぶどう作りに励んでいます。三代地区のぶどうをたくさんの方に知っていただくために、これからも日々努力を惜しまず、美味しいぶどうを作り続けていきたいと思います。

2022年 星のぶどう

No.5|ぶどう農家の継承ストーリー|師匠との出会いで磨かれた、星のぶどうの技と原点

2021.08.31

~ぶどうと向き合う日々~

聞き手:児玉志穂子

 雲南市加茂町。銅鐸が出土したその土地は、初夏には蛍も出る空気が澄んで水が綺麗な土地。その加茂町の中でも出雲神話・古事記にも登場する斐伊川近くの山あいに三代(みじろ)地区に、小さなぶどう園「ギアファーム」があります。ギアファームを営むのは、星野和志さん。1960年代に祖父母が築き上げたぶどう園を受け継いで5年目になります。

 小さな頃から祖父母のぶどう畑で過ごし、夢中になった遊びは農具を使って畑のお手伝い。成長するにつれて、農機具を操作したり、一から作物を育てたり、気がつけば農業が生活の一部になっていました。自然と、将来は農業で食べていくことを意識し始め、進路も農業系の学校を選択。卒業後は農業法人で数年過ごしたあと、ぶどう農園を受け継ぎました。

  この5年間、おいしいと言ってもらえるぶどうを作るために、収穫時期以外も、枝の剪定から摘粒、土作り、ハウスの管理・・・と一年通してぶどうと向き合い続けています。収穫時期は1年に1度。病気や虫、間引き方次第で、その年の実のり具合に影響が出ます。さらに、雨が降らなかったり、雪の被害など天候に左右され、発育状態に影響が出る年もあったりと、栽培環境は毎年違う上に、予測もなかなかできない中で、同じ品質のぶどうを作り続けるためには、1本1本の樹の個性を把握し、日々の観察と細かな手入れがとても大事なのです。

 甘くて香り高い、大きなぶどうを作り続けることができるのは、農園を築いた祖父母の努力をはじめ、周りのサポートがとても大きかったと星野さんは言います。その中でも、三代地区での栽培方法を教えてくれた師匠・星野昭美さん(以下、師匠)は、星野さんにとってとても大きな存在となりました。

 師匠との出会いは、農業法人を退職したあとに活用した就農支援機関の研修制度でした。研修先に選んだ農園は、ギアファームと同じ三代地区で60年以上続くぶどう農園の師匠の元。

 師匠は農園の2代目で、50年近く三代のぶどうを作り続けている中心的な存在です。師匠の作るぶどうは、とても品質が高く、毎年のようにぶどうの品評会で上位入賞をするほど。

 約50年前に全国的にピオーネが広まった時や、10年以上前にシャインマスカットがスタートした時には、それぞれの地域での栽培方法を確立するために全国の選ばれたぶどう農家に苗木が配られ、師匠はその島根県のぶどう農家の1人でした。作り方も、どんなぶどうが実るかも分からない状態で苗木がやってくるそうで、栽培方法確立できると、県内の試験場と連携しながら、毎年開催されるぶどう農家の研修会に活用されます。

 そんな名人のもとで学びたいと訪ねてくるぶどう農家を志す人は多く、島根のぶどうを絶やさないためにも積極的に研修を受け入れてきました。 研修内容は、日々の作業を覚えるのが基本。土の管理から剪定、摘粒、タネなしにするための処理、ハウス管理などが主ですが、順序や施すタイミングが的確でなければならない、おいしいぶどうを作るにはそのセンスが決め手と師匠は言い切ります。

 研修時代の星野さんについて、師匠に聞きました。「同じ三代地区で、ぶどう農園を受け継ぐ若者が現れるなんて。とても嬉しかった。1年間一緒に過ごしてみたけど、技術的なことは一度伝えたら理解するし、何よりも頼もしかったのはこの実直な姿勢。これはいい農家になると感じた。たまに朝なかなか来ないこともあったけど(笑)」と、当時のことを笑いながら話してくれました。

 星野さんは師匠の元で毎日を過ごし、作業内容とタイミングを体で覚えることや、1本1本の木によって異なる性質を把握するなど、ぶどう栽培には欠かせないことを吸収していきました。 木1本あたりに実る房を多くするとたくさん収穫できる反面、甘みが落ちるんだそうです。しかもそれは期の年齢や性質によって異なるため、枝を剪定する個所やタイミングで樹の勢いを強くするのか落ち着かせるのか、房や実の間引く場所や数を調整することで、糖度を落とさず、大きな粒に作り上げていくのは簡単にはいかないことを、師匠から学びました。

 研修を無事に終え、いよいよ祖父母の農園を受け継ぐことになりましたが、木の仕立て方や個性は、師匠の農園とは異なります。基本の作業内容は同じですが、また一からぶどうの木を知るところから始まります。 わからないことがあって、今でも師匠の元を尋ねたり、県の普及部に相談に行ったりすることもあるそうです。その時に大事なのは、自分の農園の木を良く知っていること。おいしいぶどうを作るために、日々木1本1本と向き合っています。

 星野さんの愛情が注がれた星のぶどうは、香り高く爽やかな甘みが口いっぱいに広がります。

やさしい気持ちと共に、みなさまのもとへ届きますように。

2021年 星のぶどう

No.4|ぶどう農家の継承ストーリー|無くしたくなかった畑と、受け継ぐ決意

2020.03.1

~振り返るギアファームのはじまり~

聞き手:児玉志穂子

 雲南市加茂町。銅鐸が出土したその地は、初夏には蛍も出る空気が澄んで水が綺麗な土地。その加茂町の中でも出雲神話・古事記にも登場する斐伊川近くの山あい三代(みじろ)地区に、小さなぶどう農園「ギアファーム」があります。ギアファームを営むのは、星野和志さん。1960年代に祖父母が築き上げたぶどう園を受け継いで今年で4年目になりました。

 小さな頃から祖父母のぶどう畑で過ごし、夢中になった遊びは、農具を使って畑のお手伝い。成長するにつれて、農機具を操作したり、一から作物を育てたり、気がつけば農業生活が生活の一部になっていまっした。早くから、将来は農業で食べていくことを意識し始め、進路も農業系の学校を選びます。学校を卒業後は農業法人で努めます。日々失敗と工夫の繰り返しで、経験が増えていくたびに、農業の面白さんに益々のめり込んでいきました。それと同時に、段々と自分の力で農業をやりたいという気持ちも芽生え、動き出します。就農に必要な情報収集を始めました。

 かつて、52軒あった三代地区のぶどう農家は、後継者不足が原因で2017年には9件まで減少していました(2020年では8軒)。もちろん、祖父母のぶどう園も後継者はいません。ぶどう農家に限らず、各地の農家が抱える後継者不足は、星野さん自身も深刻に受け止めていました。畑は、絶やさず管理をし続けないと栄養分が減っていき、やせ細ってしまった土ではおいしい作物は育ちません。もう一度栄養たっぷりの状態に戻すことは非常に時間がかかるため、日々の土づくりの大切さは、農業法人で経験した、整備されていない土地からの野菜作りで痛感していました。

 小さな頃から慣れ親しんだ三代地区のぶどう畑をなくすわけにはいかない、と感じた星野さんは、様々な就農プランを計画する中で、祖父母のぶどう園を継ぐことを考え始めました。その意思を祖父母に伝えた時、非常に喜んでくれました。もちろん、家族も喜びました。 継ぐことが決まると、一気に進みだします。その時勤めていた農業法人の社長に気持ちを伝えると、賛成してくれました。栽培技術習得の研修制度を利用した研修先も決まります。場所は同じ三代地区でぶどう園を営む農家さんの元。ここでぶどう栽培のイロハを学ぶことになります。

 そんな矢先、祖父が他界しました。あまりにも突然だったため、祖父から直接教わることは叶いませんでした。悲しみに打ちひしがれながらも、祖母とより一層強く結束します。 

そして、みんなからの応援を背に農業法人を後にします。すぐに研修もスタートし、ぶどう農家への道を歩みはじめます。研修は1年間。研修中は必要なことを教わりながら、自分の経営計画を立てたり、継承に必要な様々な手続きをしたり、さらに農業を通じて届けたい思いを巡らせます。 研修が無事終了し、いよいよ、ぶどう農家としてのスタートです。美味しいと思ってもらえること、育てたぶどうがお客様の心を豊かにすること、農業の楽しさ、地域農業を動かすギアになるような農園を目指したいと、農園名をギアファームと名付けました。

 すぐにぶどう栽培の難しさを痛感しました。 今まで作ってきた作物は、種から収穫まで1年以内で栽培が終わる野菜がほとんどでしたが、ぶどうは1本の樹で20年間作り続けます。その年の管理結果は、野菜の場合は翌年に改善できますが、ぶどうなどの樹木は翌年以降の育ち具合に影響が出てしまうため、何年も先を見越した育て方が必要です。

 特に、祖父母が毎年欠かさずに行っていた長年の土づくりのおかげで土の地力が高く、シャインマスカットやデラウェアなど、粒の大きなぶどうを作ることができたのですが、地力ある土であるが故に、ぶどうの樹勢が強くなりがちで、コントロールするのが難しかったです。 いいぶどうを実らせるために、実が育つ時期も、収穫後の冬の時期も生育具合を観察し枝の剪定から土づくり、ビニールハウスの補修などを行い、1年通して管理し続けています。

 長年高品質なぶどうを作り続けてきた祖父母の努力と思いを受け継ぎ、今日も孫の星野さんは、日々ぶどうと向かい合っています。 星野さんの愛情が注がれた星のぶどうは、香り高く爽やかな甘みが口いっぱいに広がります。

 やさしい気持ちと共に、みなさまのもとへ届きますように。

2020年 星のぶどう

No.3|ぶどう農家の継承ストーリー|地域に育てられた、学びと原点

2019.03.17

~振り返るギアファームの原点~

聞き手:児玉志穂子

 雲南市加茂町。銅鐸が出土したその地は、夏には蛍も出る空気が澄んで水がキレイな土地。その加茂町の中でも出雲神話・古事記にも登場する斐伊川近くの山あい三代(みじろ)地区に、小さなぶどう園「ギアファーム」があります。ギアファームを営むのは、星野和志さん。1960年代に祖父母が築き上げたぶどう畑を、2017年1月に受け継ぎました。

 子供の頃から遊び場は祖父母のぶどう畑。手押し車や農具を使って畑を手伝うことが当時の星野さんが夢中になった遊びでした。曽祖父の横でハサミを使って出荷作業を手伝ったり、幼少期には農機具を操ったり。中学生くらいからは、祖母の手ほどきを受けながら畑を耕し、一から夏みかんえお育てることにも挑戦します。目一杯体を使って遊んだり、大人と同じことができる楽しみや挑戦した記憶は今、星野さんの探求心や好奇心の源となっています。

 進学も農業系の高校、卒業後は農業大学校へと、農業へまっしぐらに突き進みます。星野さんにとって、生業に農業を選ぶことは自然な流れでした。農業大学校卒業後は、農業法人へ就職します。 ここでの経験が、後に星野さんにとって重要なターニングポイントとなります。今までと違うのは、育てる楽しさに加え、自分が作った作物に誰かがお金を払って買ってくれるというところ。美味しいと思ってもらえたり、食べた人が健康になったり、贈答用に選んでもらえたり、さらには、産直市で作物に貼られたシールの名前を見て指名買いしてくれるなど、直接購入してもらう機会が多くなりました。お客様の声を知れたことが、誰かのためになっていると実感し、いいものを作って喜んでもらいたいという想いにつながっていきました。

 畑のあった場所は標高が高く、元々は田んぼや、建設残土のあった土地を埋め立てた場所での畑作りでした。そこは、水はけは悪く、雨が降らないと土地が乾いてしまう、野菜作りには適していない土地。一番大切な土作りからのスタートで、もみ殻やぬかを混ぜ、野菜が育ちやすい環境を整えていきました。土作りをしながらの野菜作りは、様々な困難の連続でした。豪雨や台風の時は、ナスが支柱ごと横倒しになったり、ハウスが剝がれたり、雪で潰れたり、自然災害と季節の特徴や影響を受けながら、そのたびに応急処置をし、補強や維持の仕方を工夫し続けてきました。

 そのほかにも、ほうれん草1つ取っても、暑さ、寒さそれぞれに強い品種があること、病気に強い、花がつきにくいなど様々な品種があることを学びます。育ててみて失敗や工夫を繰り返した経験を重ね、育つ場所の気象に合わせた品種選びの引き出しを増やすことができました。失敗するたびに原因を追求する癖がつき、生育がうまくいかない時は、品種選択が間違っていたのか、肥料の量なのか、葉の色やサイズ、育ち方をしっかりと観察して原因を見つけることができるようにもなりました。「植物は喋らないから、毎日しっかり見てあげる」そう話す星野さんは、まるで我が子に愛情をたっぷりと注ぐ親のようです。

 さらに、農業をする上で地域とのつながりが大事だと思えたのもこの頃。分からないことがあると、昔からそこに住んでいる指導員や地元の人に聞きます。地域の人は、水が貯まりにくい場所、草刈りの場所など土地の癖を知っています。農業は、地域のつながりがあってこそ成り立っていることを学びました。それはギアファームを始めた今でも強く感じています。この農業法人に勤めた5年間は、今の星野さんにとって農業の意味を知る貴重な時間でした。

 「農業は育てて売ることだけでなく、地域や環境を守る役割を担っているからこそなくてはならない。星のぶどうを通じて、自分が生まれ育った地域がなくならないよう、できることをやっていきたい。地域の方と交流していく中で、お互いを理解し合い、協力し合い、大変な時には助け合う、そんな文化を守りたい。」

 長年高品質なぶどうを作り続けてきた祖父母の努力と想いを受け継ぎ、孫の星野さんによってたくさんの愛情を注がれた星のぶどうは、今年もすくすく育っています。 星野さんが育てたキラキラ輝く綺麗な緑色のぶどうは、食べると香り高く爽やかな甘みが口いっぱいに広がります。

 やさしい気持ちと共に、みなさまのもとへ届きますように。 

2019年 星のぶどう

No.2|ぶどう農家の継承ストーリー|祖父母から受け継いだ星のぶどう

2018.03.1

~振り返るギアファームの原点~

 聞き手:児玉志穂子

 雲南市加茂町。銅鐸が出土したその地は夏には蛍も出る、空気が澄んで水がキレイな土地。そんな加茂町の中でも出雲神話・古事記にも登場する斐伊川近くの山あい三代(みじろ)地区に、ぶどう栽培をしていた祖父母から孫の星野和志さんが受け継いだ小さなぶどう農園「ギアファーム」はあります。

 星野さんの祖父母のぶどう作りの起源は、昭和30年代半ばに遡ります。島根県でのぶどう栽培は戦後、繭価の低落による桑園からの転換などにより、昭和30年代に入ると急速な増植が行われました。三代地区でも、町をあげてぶどうの特産化を目指すことになり、度重なる視察や調査を経て野山の開墾が始まりました。この時、三代地区で農業をしていた星野さんの祖父母もぶどう作りをスタートさせます。最初は50アール、後に人から譲り受けた10アールと畑を広げ、朝から晩までひたすら働きました。台風、霜、雪など農業の宿命とも言える数々の天災に襲われたり、長雨の影響でぶどうが腐り収穫目前で破棄しなくてはならなかったりと、悔しい経験を乗り越え、立派なぶどうを作るために毎日毎日畑と向き合いました。視察をはじめ、ハウスや加温機の導入など、上質なぶどう作りのためのあらゆる努力をし、家族一丸となってひたむきに取り組んだ結果、様々な品評会で賞を受賞。それはそれは家族みんなで喜びました。

 平成2年、孫の星野さんが誕生します。活発な男の子で、祖父母のぶどう畑は格好の遊び場に。どんな遊びかというと畑の手伝いだったそうで、その頃から手押し車や農具を使うことを楽しんでいました。自宅の縁側で出荷作業をする曽祖父の横で、小さいながらにも一丁前にハサミも使ってお手伝いをし家族のみんなを驚かせたエピソードも。幼少期は農機具を使うことに面白みを感じていましたが、中学生ぐらいからは育てることに興味が湧いてきます。 使っていない畑で、まずは耕すところから挑戦。初めて作ったのは、花でもなく、野菜でもなく、果樹である夏みかん。これがギアファームの原点です。祖母から肥料や植え方を教えてもらいながら、作物第一号をスタートさせます。それからは、枝の剪定や成長ぶりを見に毎日畑に行き、大切に育てました。数年後、無事夏みかん栽培や祖母の畑の手伝い、田んぼで稲刈りなど、農業が生活の一部になっていきました。

 この頃には、将来は農業をするものだと思いはじめ、農業系の高校へ進学。植物の育て方を中心に学び、カヌー部に所属して高校生活を謳歌しました。卒業後はもちろん農業大学校へ。さらに土作りや肥料など基礎を勉強します。農業への実習もあり、ここでの体験が星野さんの探求心を刺激しました。より農業に就きたい気持ちが増し、農業へまっしぐらに突き進みます。農業大学校卒業後、最初は農業法人に勤めます。場所によって異なる育ち方、土の質など、学校の時には気がつかなかったことが山ほど。土や作物としっかり向き合う日々、農業の面白さが年々わかり始めた5年目。 突然、祖父が他界しました。祖母をはじめ、家族、一緒に走り続けてきたぶどう農家のみんな、悲しみに包まれました。実は、ちょうどこの頃、星野さんは祖父母がやってきたぶどう作りで農業をしたいと思い、祖父に栽培方法を聞こうとしていたところだったのです。状況が一変し、祖父からノウハウを直接聞けなくなってしまった上に、祖母だけでぶどう農園を維持するには負担が大き過ぎました。だからと言って無くすことは絶対にしたくない。祖母、地域のみんな、星野さんも同じ気持ちです。そこで決意します。

「今、ぶどう農園を受け継ごう」

 今までお世話になった農業法人を退職し、祖母や、同じ地域でぶどう作りをする師匠など周りの人に助けられながらぶどう農家としての一歩を歩み始めました。大切な土作り、枝の剪定、樹木の成長具合など徹底的に栽培方法を覚える日々が続きます。

 2017年1月、受け継いだ農園は、みんなの喜びを生む歯車になるように、ギアファームと名付けました。

 同年夏、星野さんが手塩にかけたぶどうは丸々と大粒に育ち、ギアファームとして初めての出荷をしました。綺麗な緑色をした実は、キラキラ輝いていて、1粒食べるとそのみずみずしさつい笑顔が生まれます。「品質のよいぶどう」を祖父母の代からバトンを繋いだ「ぶどう」。次は孫の星野さんによって「星のぶどう」となり、地域や人との繋がりを紡いでいきます。

「星のぶどう」が、やさしい気持ちと一緒に皆様に届きますように。

2017年 星のぶどう